でんがな

先日、初めて人に見せるための文章を書いた。コーヒー数杯分の値段で買われたそれは、そのうちインターネットのどこか辺境に載るらしい。

ここで書いている文章は「人が見るかもしれない文章」くらいの感じなので、それとは全然書いてるときの気持ちが違った。すごく集中して、何度も読み直し、書き直し、さらに読み直した。明確にテーマや読者を設定された文章の方が書きやすいし、きっと読む側としても読みやすいのだろうなと思った。でも、考えるとわたしはあまりそういうがっちりした文章をネットで読んでいないかもしれない。好きじゃないかもしれない。読んでいるときも逃げ道がほしいから。ぬけ感。ほころび。途中で読み手が脱線したり、放り出したり、遊んだりしてもいい文章。そうだろうか。

真面目に書けば書くほどわたしの文章はわたしくさいなとも思った。仕方がないのかもしれない。意図的に無味無臭な文章を書くのもおもしろそうだと思ったけど、読むのはつまらないかもしれない。どうだろう。わたしは街や電車でみかけるマンションコピー(マンションポエム)がすきだ。あれは無味無臭とみせかけて、かなり癖があり、とてもいいと思います。なんだろう、ありきたりな造花(近寄るとプラスチックなどの素材くさい)とかだろうか。ちょっと違うな。マンションコピー。あれはみていてたのしいです。うそっぽい完成図とかも含めてすきです。わくわくします。あの類のコピーを決める会議の様子を、いちどそばで見ていてみたいです。

ところで今日は、串カツでんがなを初めて体験し、とてもたのしかったです。串カツ文化。どて焼き。想像してたよりさらさらで甘くないソース。山椒焼酎。常にスタンバイしている店員さん。何事も体験しないとわからず、明日からわたしは、串カツでんがなと串カツ田中をたやすく判別できるようになっているはずでしょう。またひとつ大人に。おやすみなさい。